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子羊は荒野をめざす

 ずいぶん長いこと歩いたような気がします。

まっちろだったこのウール100パーセントの綿毛もなんだかくたくたになってちじれてどろんこ
とびきりキュートなこのおめめも砂がもう、すごくてまつげがしぱしぱ

 でもねぇ、悪くはないのよ。むしろとっても気に入ったわ。

 ぱからっ、ぱからっ、ぱからっ

 勇ましいあしあとを残して 夕日なんてもう真っ赤で 世界はどこまでもアレなもんで

 ニヤリ不敵に笑みを浮かべてキュートな子羊はワイルドサイドを果てしなく。











 

 

 
# by nagisa1101 | 2009-02-22 21:40

星なし夜の冒険

 澄み切った秋の空は時と共にその色を変え、深い群青の帳を広げ摩天楼をひときわ輝かせておりました。
 とあるミッションを受け、出掛けた夜世間。
 比較的早朝か昼間に外で活動する事が多いコロボックルの私にとっては夜の世間は慣れないもので、早朝や昼間に通る道でさえも、なんだかよくわからない異国の道に見えてしまうのですが、いんや、ここは気張っていかなかん、と愛車(自転車)にまたがり、闇夜の世界に片輪を踏み入れてみました。
 しばらく走ってみると、昼間はつぶれるのと違うか、と心配してしまうくらい寂れた店にやたら人が入っていたり、紫の光の中、妙齢の男女が集まりパーティの様な催しをしていたり、なんだか賑わっているよねー、ではこっちに行ってみよう、と、昼間は通勤道にしている細い路地に入り、交差点にさしかかったその時、ふいにどこからか、すみません!との声。ひゃぁ。

 「すみません、ちょっとお聞きしたい事があるのですが。」
 競輪選手の如き格好に、同じく競輪用の、E.Tの様なヘルメットを被った若いあんちゃんが自転車にまたがったまま、レモンのように爽やかな笑顔で尋ねてきました。
 交差点は信号もなく、暗い路地を照らす光など何もない、その上路地には私とあんちゃんの二人きり。思わず身構えた私はまずあんちゃんに攻撃された場合、例えば拳銃のようなものであれば、どうやって避けようか、マトリックスのあれは可能か、防弾チョッキを着てこれば良かった、などという考えをわずかの間に巡らし、結果、約5メートルの間隔を確保し、出来るだけ胸を撃たれないように両手で胸の辺りを隠し、何奴!と言わんばかりの警戒心を体中で表現してみました。
 「あの、この辺りに、ケーキか和菓子売ってる所ありませんか?」
 刺客にしてはなかなかキュートな事をおっしゃるのね、この時間に、ケーキですか、この夜更けに。と暗闇で突然ケーキ屋を尋ねられ、わけわからん、と思ったけれどちゃんと教えてあげないとなぁ、と思って大通りに出ると何かあるかもです。と言うと、ありがとう、とあんちゃん、風の如く去って行かれました。

 やはり慣れない夜は変な事が起こるなぁ、と自分の勤務地であるロボットビルの前のベンチに腰掛け、ほやーんとしていると、自転車置き場手前に茶の色のキャットが座っていました。
 自転車で通勤する際必ずここを使うのでこちらに住み着いているキャットはよく知っていました。しかしなんだか様子が変、人がいると警戒するはずのこちらさん、今日は表通りに面するところで人が通っても置物のように動かない。どれどれ、ちょっと近づいてみたろか知らん。

 歩み寄った私はすぐに歩み寄ってしまったことを後悔してしまいました。

 茶キャットの顔は怪我でぐずぐずになっておりました。

 茶キャットの目は真っ直ぐに私を見つめるキャッツ・アイ。ウィゲッチュー、なんて言ってられない私、ごめんね、ごめんね、と退散。茶キャットは諦めるように遠くを見つめて。

 お菓子サイクラーに茶キャットと立て続けにハプニングが起こり、やはり夜道はあかん。と、賑やかな大通りを夜風に後押しされつつ帰路へ、と、突然向かいからあのお菓子サイクラーが出現、でもスピード速すぎて私とすれ違っても気づかず、しかし彼はすれ違う際に、一言、
 「ないわぁー」
 とつぶやき、流星のように走り去ってゆきました。
 
 そして私の目の前にはケーキ屋さん。きっと速すぎて見えなかったのでしょう。


 見上げると群青の帳が漆黒の闇に姿を変え、星、いっこもない。

 さぁて、家に帰ろう。



   
# by nagisa1101 | 2006-09-20 18:06

森の定食屋さん

 狸に化かされた、というのは隣で運転している父の言い訳だ、ということはわかっているのだけれども、いや、でも本当に道路に尻尾でも生えているんじゃないか、と疑いたくなるくらい相当な時間、同じような山中をぐるぐる回って、やっと真面目な道に戻って来た、と安堵、どうやらここは「阿弥陀」という場所なのね。ふーん、で、ここは何処?

 しばらくすると、道の駅。と書かれた場所が現れ、ちょいと父さん、自分はうどんが食べたいし道もわからないのでひとまず降ろして頂戴。と、車を停車。くわぁ、と身体を伸ばし、辺りを見回すと、小さなSAのような場所、自動販売機、WC、川、山、鉄球、などがあって、人通りもあり、じゃぁ一寸ここで休憩しようか、とSA内にあるレストランのメニュを拝見していると、父があることを指摘するので、なんなのさ、というと、ここはレストランであり、洋食メニュが中心だからかような場所にうどんなんてものがあるわけがない、というので、自分は、天下のうどん様はどんな所にもあって当然だ、あるに決まっている、と反論し、あるないあるないないあるないあると小学生の押し問答のようになっていたその時、父があるものを発見、指を指したその先には一軒の古びた定食屋。そこには壁一面に「うどん」「串カツ」「定食」などとペイントが施されていて、お、ええやん、とは思わなかった自分。その訳は、離れていても感じるすさまじい敗北的雰囲気、暖簾の破れ、庭の木の枯れ具合、などをふまえた結論であり、あかんと思うよ、と父にやんわりと告げると、お前はうどんが食べたいと言ったのにうどん屋へは行きたくないと言っているがそんな我が儘を言うんじゃない。と怒られるのでしぶしぶ道の駅の向かいに位置する定食屋「だるま」へと向かって、少しの恐怖心を覚えつつ。

 だるま、と書かれたぼろぼろの暖簾の前に立つと、何かを察したのか父が背後から「やっぱやめとこうか、やばいぞ、なんか」と突然弱気になってきたので、もうここまで来たのだからそんな我が儘言われても困ります。とたしなめ、ガラガラガラ、と扉を開けて中を覗いたら。

 自宅のようなテーブルに、牛蛙が人間の物真似をしているような親爺が食事中であるのか、サバの味噌煮の様なものをもちゃもちゃ食しており、その向かいに腰掛けるご婦人らしき人物も同じ物を食していたらしく、普段の家庭の食事風景に立ち会っている自分はもしや間違って民
家に入ってしまったのではないかと一瞬疑い、首を少し傾けて、にこ、と笑ってみたら、牛蛙が突然口を開き、がぁがぁがぁ、と言うので、蛙語を知らない私は、え・・・あはは、と何も面白い事は一つもないのに笑ってみると、「金でも拾うたんか、って。」と客らしき男性が通訳をしてくれたのだけれども、突然、初対面の人間に金を拾ったか、と尋ねられた事が一度もないのは私の人生の経験不足からかもしれないなぁ、と思っているとまた牛蛙が、がぁが がぁーがと言うので、いよいよ困惑していると、今度は父が「にやにや笑ってるから、金でも拾ったのか、何かいい事あったのか、やって。」なんと父は蛙語を解するようで、牛蛙に、いやぁ、別に何もないよ、と伝えて会話を成立させていたので父は結構凄い人間なんだと思いました。

 一連の蛙トークが終わると、向かいに腰掛けていた婦人が、何にします?と聞いてきたので、やっとここはうどん屋だということを確認、父と二人でうどん定食をオーダー、婦人は奥へと消えていき、店内に残るのは牛蛙、客、父、私、の四人になり、テーブルを手で撫でながら、このじゃりじゃりする感じは何だろう、砂か・・と悩んでいると、牛蛙がまた、今度は人間語に近い言葉で話してきたので、これは私も返すことが出来ました。
 蛙「大将!大将!(どうやら父を呼んでいるらしい)どっから来た?」
 (父・遠くを見たまま動かない)
 私「あっ、大阪です。」
 蛙「大阪か!大阪のどこや、中央区か?」
 私「あ・・・はい、そんな感じです!」
 どんな感じなのかわからないけれど、これ以上蛙と深い会話になるのもなんだかしんどいのでこの辺りで止めておいた、その時、婦人がうどん定食、2つね、と運んできたのでこれを食したのですが、うどん定食、と聞くと普通はうどん、かやくごはん、一品、などというものが想像できますがこちらのうどん定食の場合、うどん、白米、冷奴、漬物、となっており、白を基調にした定食なのだということで、まぁ別にいいのだけれども、どうもうどんのだし汁が白濁しており、うどんに対して多少想うことがある私にとっては、すこし悲しい状態なので、汁を殆ど残し、麺だけを頂く事にしました。
 食べ終わった私は牛蛙の方をまたちら、と見てみると、まだもちゃもちゃ食べていて、先ほどうどん定食を作っていた婦人もまた向かいに腰掛け、また一緒に食べだしたので、今、店内における全ての人間が食事中という何とも奇妙な状況に戸惑いながら、牛蛙の頭上にある長細い書のようなものを読んでみたらこのように書かれておりました。

 「私達はこの場所で50年、定食屋を営んで参りました。様々な状況の中にあってもこうしてだるまを続けてこられた、その理由の中に、私達は、お客様にご満足頂ける店とは何か、ということを見出すことが出来たのです。それは「早い」「安い」「美味しい」ということです。
 この3つを失わない限り、お客様に最高のおもてなしを続けていくことができるのです・・・・・」

 店内の退廃的空気とは裏腹な印象のこの書をぼんやり見つめ、これを書いた時に来てみたかったなぁ・・・と水をくい、と飲んだら鉄錆の味がしてしまった、と思いました。
 うどん定食750円。決して安くはない代金を支払い、店を出ようとすると、牛蛙がまたがぁがぁ言うので、またうすら笑いを浮かべつつ店を後にしました。


 それから数時間後、私と父は得体の知れない腹痛に悩まされる事になるのでした。
 
# by nagisa1101 | 2006-06-07 10:26

トロピカルバトル 

 私はただ、ワイシャツを買おうとしただけであって、それだけだったのであって。

 婦人衣料店が立ち並ぶ郊外のモール街は先日新装開店したばかりで、平日にもかかわらず大いに盛況し、いやぁ、賑やかやん、どれ、ちょっと見たろうかしらん、とブチックが立ち並ぶ通りをふらふら歩いていたところ、南国風の衣料を取り扱う店を発見、トロピカルなフレーバーに誘われた私は吸い込まれるように店内へと足を進めて行きました。 
   
 店内にはフラダンスを踊るおねぃちゃんのプリントが施された鞄、サーフガール、と書かれたティーシャーツに椰子の木の刺繍が入ったパンツなど、いけてる波乗り少女のようなファッションが並び、BGMにはハワイから電波まで輸入してきたのか、異国のラジオが流れ、そこはもうすでに南国そのものであり、ええやん、ええやん、といけてる波乗り少女になった気分でTシャーツを選んでいた、その時でした。

 「しゃけどアンタ、こんなん私似合えへんのんちゃう?どやろ。」
 「いやいや木村さんよう似おぅてるて、ほれ、こっちなんか紫やでぇ!」

 南国ムードを引き裂く大声に驚いた私は振り返り、声がした方向をみてみると、そこにはやはり想像通りのおばちゃんが二人、ワイシャツのワゴン前で談笑の真っ最中だったのです。
 会話の声の大きさのせいで店内には異国ラジオのかわりにおばちゃん達の会話がBGMとなり、いけてる店内とは対照的なやりとりがしばらく続きます。

 「せやからな、私も介護受けたらええのにゆうてんのに森さん、なかなかしはれへんやろ、ほなもうしゃぁないやんなぁ。」
 「そら難儀やなぁ、介護士さん、紹介したろかなぁ、うちの知り合いでやってはんねん。」

 そら難儀なこっちゃ、と、いつの間にか二人に対して同情の気持ちが芽生えてきたのですが、これまた難儀なことに、おばちゃん達が会話を続けているそのワゴン内に、いけてるワイシャーツを私は見つけてしまったのです。その上に、さらに驚いたことに、談笑しているおばちゃんの一人はなんと、あろうことか店員だったのです。
 ふんふんふん、おばちゃん達の間に割り込み、ワイシャーツを手にとって見ている私に対しておばちゃん店員は、どうですか?などと伺ってくる一連の店員としての動きはなく、それどころか、ちょっと、何よ、割り込まないでよ、今森さんの介護の話で盛り上がっていたのに、と迷惑極まりないという表情で私を見、それでも負けじとワイシャーツを自分の胸に合わせて、どんなもんやろ、と引き下がらない私、しかしそんな健気な仕草に目もくれずに、今度はキャッシャーの方へと場所を移動してまたおばちゃん達はひたすら話を続けている最中、どうしょうもなくワイシャーツが購入したくなった私は意を決してワイシャーツを手に取るとキャッシャーで談笑しつづけるおばちゃん店員に手渡そうと、いま一度店員の顔を見ました。そしたらこれが驚いた。

 南国風の力士の如く豊満な身体にアロハシャツを羽織り、松崎しげるが女装に目覚めたような顔には鮮やかなサーファーメイクが施され、なんだかどひゃぁ!と言いたくなるような力士店員は私を一瞥した後、はい。とだけ言って、レジをがしがしがし、と壊れるのと違うか、というくらいの力で押し、片手でつり銭を手に取ると、恐ろしい顔で睨みを利かし、「どうも。」とだけ言って私に手渡した、この、「どうも」が私には「でうめ」に聞こえて、って、つまり、要するに、「私が仲の良い木村さんとせっかく楽しく談笑しているのに邪魔ばっかりしゃがって、この陰気野郎」と言いたい心が私にははっきり見えたのです。

 もう怒ったぞー!勝負だ!と言おうとして、辞めました。
 力士店員とこの私では、例えれば象と蟻。例えれば小錦と小学生。例えれば金属バットとプリッツ。とうてい勝ち目はないのです。

 このような迫害を受けて購入したワイシャーツに袖を通し、にやりと不敵な笑みを浮かべた私はまたあの南国店に行き、力士店員にまたしても割り込み、今度こそ勝負を申し渡す。と、肉体を鍛えようと無理にダンベルを持ち上げて筋肉を痛めました。
# by nagisa1101 | 2006-05-26 20:39

天竺にでも行けばいい

 モチベーション、という言葉を聞くと意味もわからず泣けてくる。だって春の日はセンチメンタル
なんだもの、ってインストゥメンタルを聴きながら、でも途中からメタリカを聴いて暴れ、思い切っておんもに飛び出せば、隣近所の主婦達の「あの人、いつも昼になったらのこのこ帰ってくるけれど、一体何やってるのかしら、今流行のニートってゆう、あれかしら、ねぇ」といいたげな視線にさらされ、思わずうつむくと、猫。にゃぁ。そんな目で見ないで。にゃぁ。いやぁぁっ。にゃぁ。にゃぁ。にゃぁ・・・。

 こういった自堕落な暮らしを打破する為のとっておきの方法を考えてみたのです。

 一日のなかで、一つだけでも善いことをする、すなわち一日一善。という考え方。すばらしいと思いました。さぁ、レッツビギン!ワンデーワングッド!さぁて、何から始めようかしら・・・。

 ガンダーラ、ガンダーラ、愛の国、ガンダーラ・・・・。

 しばらくして、私はこの一日一善の決定的な間違いに気が付いたのです。
 一日に一つ善いことをする、ってこの、「善いこと」っていうのはおそらく自分自身で、ああ、今、善い事をした、素晴らしい!自分よ、ブラボー!ハラショ!ということなのだろうけれど、こういった「善い事」というのは、多分、他人に評価されて初めてえ?そう?いいことしたかな?と気が付くものであって、自分で自分を評価して、イヤッホー!となっているのは、もうこれは自意識が溢れているとしか言いようがないでしょう。善いことは善いことだと思ってやると偽善になるでしょう。そうでしょう。
 とは言ってみても善い事だと自分では思ってなかったんだけど人に善い事だと言ってもらえたしもしかしたら善い事をしたのかも知れない、という瞬間はそう滅多にないと思うし、一日一回そう思われるには、並大抵の努力では成し得ないと思うのです。例えば、出来るだけ大勢の人の前で、しかも皆がこっちを見た瞬間を狙って作戦を遂行させなければならず、電車の乗車中に席を譲る、という行為にしても、そこに、席を譲るべきであろう人が居合わせないといけないのであって、そういった人を探す為にずっと電車に乗っていなくてはいけないわけで、で、たまたま老婦人がやって来たところで、席を譲ると、いや、大丈夫です。とクールにかわされ、落胆したところで会社に遅刻し、何をやっていたんだと叱られ、いや、一善を・・・なんて言ったらもう、後は修羅が待ち受けている事でしょう。
 
 一日一善の迷宮に迷い込んで脳がすこしねじれた私、お師匠さん、天竺、っちゅうのは、ぁどうゆう所なんでしょうね・・・と見上げた空はどす黒くって、脳、またひとつねじれて。

 
# by nagisa1101 | 2006-04-13 20:11